私は終活ライフケアプランナーの資格を習得するにあたり、生きている間にする終活についてはもちろんのこと、終末期や死生観についても学びました。
終末期の方とどう向き合うのか、死は誰のものなのか、死ぬ前はどういう状態になるのかなど、重い内容に勉強中は気分が落ち込むことも少なくありませんでした。
しかし、その中で『あいまいな喪失』という言葉を知り、悲しみに対する向き合い方も少しですが分かったような気がします。
東日本大震災による行方不明者の家族支援のために広く認知され始めた概念で、『あいまいな喪失』には「さよならのない別れ」と「別れのないさよなら」という二つのタイプがあります。
家出や行方不明者のように、身体が不在になってしまったのに心の中にはまだその人がしっかりと存在しているようなタイプの喪失が「さよならのない別れ」です。
一方、認知症やワーカホリック、家庭内別居のような状況では、目の前にその人の身体が存在しているのに心の中では「父親・母親」あるいは「夫・妻」としての相手はすでに不在になってしまっているのが「別れのないさよなら」です。
あいまいな喪失という概念を知っておくことで、こうした状況の複雑さによって悲しみが複雑化していくことを予防できます。
あいまいな喪失に対処していくためには、「いないけどいる」、「好きだけど嫌い」という一見すると矛盾するようなものの見方を受け入れていくことが大切になります。
家庭内での見解の相違を許すこと、家族における役割を固定化させてしまわないこと、コミュニティの中に家族のように接することができる人を見つけていくことなどが必要になります。
他にもさまざまな喪失があります。
中絶や誕生死などにまつわる悲しみに関しては本人がその気持ちを語ることは社会的にほとんど認められていません。
こうした喪失は『承認されない喪失』と呼ばれています。
また、成長過程においても喪失体験はあります。
下の子が生まれたために、それまで独占していた親の愛情が弟や妹に移ってしまったと感じるのも喪失の一つです。
大切な人を亡くした時、失った人が自分にとってどんな意味を持っていたのかを見出せると、その人のいない人生を生きていく心の準備ができます。
悲しみは消えるものではありませんが、泣き笑いながら思い出せるようになると、人生の一部として抱えながら生きていけるようになるのです。