*在宅介護から施設入所へのターニングポイント

今年90歳になる祖父は、ほんの数ヶ月前まで一人暮らしをしていました。

数年前、まだ要介護1の時は割としっかりしていて、祖母を亡くしてからの約30年間一人暮らしをしていたこともあり、簡単なご飯は自分でできるし特に心配することもありませんでした。

その頃は自分の意思表示もあり、家族が勧めるデイサービスなども「そんな所には行かない」と頑なに断られ続けていたのです。

しかしだんだんと薬の飲み忘れがあったり、服を着替えなくなったり(多分お風呂に入っていなっかた)基本的な生活ができなくなってきました。

そしてやっと受け入れてくれたのが在宅ヘルパーさんです。

それでも最初の頃は「別に来てくれなくていい」と機嫌の悪い日もありました。

せっかくヘルパーさんが来て生活の手助けをしてくれるのに、ヘルパーさんが来るまでに夕食を済ませ、洗い物まで自分でしている状態でした。

何のために来てもらっているのやら・・・という思いで家族は見守っていましたが、日が経つにつれて祖父もヘルパーさんが来るのを楽しみにしているようでもありました。

私や母は祖父に対してついつい口うるさく言ってしまっていました。

今までできていたのになぜできないのか?

こちらの言っていることを全然聞かない!

認知症の家族に対して毎日がこんな葛藤の繰り返しです。

しかしヘルパーさんは優しく、いつも祖父優先の会話をしてくれていました。

介護をする側の心構えの一つに『介護が必要な人の尊厳を保つ』ということがあります。

しかし私や母は何もできなくなった老人として接していたのです。

これは本当に反省すべき点ですが、実際に家で介護をするというのは綺麗事ではできません。

時々事件として介護に疲れて殺してしまったというニュースを見ますが、全く理解できないこともないと思いました。

認知症の祖父を一人暮らしさせているとはいえ、一日中ずっと見張っている訳にもいかないので、正直一人の時は何をしているのか分かりません。

危険だと感じた行動がいくつもありました。

祖父を見ていて思ったのが、高齢者は一年で変わるということです。

去年できていたことが今年はできなくなっているのです。

小さい子供が一年ごとに成長して去年できなかったことが今年できるようになるのとは逆で、歳を重ねるごとにできないことが増えていくのです。

ヘルパーさんにお風呂を促され、浴室に行ったはいいがそこからどうお風呂に入っていいのか分からなくなったり、お風呂から出てきて体は拭いたがその後パジャマを着ることに頭が回らず裸のまま座っていたりします。

車の運転をしていた頃も、最後は車に閉じ込められて(ロックがかかっていただけ)出られなくなり免許証を返納させました。

車の代わりに電動自転車にしてからも最初の頃は良かったのですが、次第に充電の仕方が分からなくなったり、転倒して自分で起き上がることができなくなったので自転車も取り上げました。

色んなことを制限させるのは可哀想だとも思いましたが、事故につながる危険を考えたら仕方ありませんでした。

人によっても違うとは思いますが、高齢者の一年というのは確実に去年とは違うと思っておいてほしいです。

私が早めの終活を勧めるのはそこに理由があります。

今、面倒だと思っていることを来年やりますか?

先延ばしにしているうちに意思表示ができなくなるかも知れません。

もしかしたら寿命が来てしまうかも知れません。

一年ほど家での介護をしていたのですが、母と相談して施設に入所させることにしたのは、一人暮らしをさせておくのに限界を感じたからです。

訪問販売を契約してしまったり、昼間の徘徊があったので常に誰かがいる施設の方が祖父も安心して生活できると思い決断したのですが、我が家の場合は本当にタイミングが良く、予約してから早い段階で入所できました。

地域や施設の種類にもよると思いますが、⚪︎年待ちとか普通にあるみたいですね。

入所した当初は「こんな所イヤ」とか言い出さないか不安がありました。

初めての面会の時は一度だけ「帰りたい」と言いましたが、その次からは聞いていません。

もう家の存在を忘れてしまったのかも知れません。

でも、「ここの人はよくしてくれる」と職員さん達に対する感謝の気持ちは持っていました。

職員の方も「入って来られた時より穏やかな顔をしている」と言ってくれます。

祖父が望んでいた生活かどうかは分かりませんが、面会に行くとニコニコしている祖父を見て、私も母も穏やかな心で接することができているのは間違いありません。