これまでベールに包まれていた実態として、警察庁が5月に初めて出した統計で、今年1月〜3月にひとり暮らしの自宅で亡くなった65歳以上の高齢者はおよそ1万7000人という記事を読んだ。
このままのペースで推移すると、独居状態で死亡する高齢者は年間約6万8000人になると推計されている。
今や孤独死で最期を迎えるということは決して珍しいケースではない・・・と。
孤立死(孤独死)・・・誰にも看取られることなく息を引き取り、その後、相当期間放置される悲惨な最期。
(内閣府「高齢社会白書」より)
統計によると、孤独死は男性が多く、7〜8割が60歳以上。
女性の方が長生きなのに、男性の方が多いのはなぜか?
男性は生涯未婚率が高く、結婚していたとしても離婚をしたあとは家族と離れて暮らす人も多く、単身世帯が増加したことが理由として挙げられている。
だが女性も安心してはいられない。
生涯未婚率や熟年離婚が増えている昨今、夫と死別したり子供も独立して一人暮らしとなった今、60〜70代の女性は『孤独死予備軍』と言われている。
孤独死が増えている理由としては、高齢者と社会の接点が少なくなったこと。
家族と一緒ではなく単身で暮らしたり、近所や友人知人と交流がないなど。
前回のコラムで書いたが、定年退職してから外に出なくなった男性は家に閉じこもりがちになったりしていないだろうか。
仕事一筋で生きてきた男性は会社に行って仕事をするという人生のほとんどを占めていたものが無くなり、急に社会から取り残された感を味わうことになっていないだろうか。
男性と女性では、この点でも差が出ているように思う。
しかし、精神科医の和田秀樹さんは言う。
「孤独死は理想的な死に方だ」と。
なぜか?
よく考えてみると、死ぬ直前までは元気だったから。
俗に言うPPK(ピンピンコロリ)というやつだ。
病院のベッドで天井を見つめて死ぬのではなく、住み慣れた自宅で亡くなるのは当人にとって幸せなことではないだろうか。
ひとりであることを受け入れ、しっかり準備しておく方が心や時間にゆとりが生まれ、最期まで生き切ることができる。
そう考えれば、ある意味孤独死は理想的な死に方というのも納得である。
ではなぜ「孤独死=惨めな死」という風に認識されているのか。
それは、遺体をなかなか見つけてもらえないというイメージがあるからだろう。
死後誰にも見つけてもらえず、長期間放置された状態で遺体が腐り異臭が出ていることもあるからだ。
記事を読んでいて気になったのが、一人暮らしだけではなく『同居』の状態でも見つけてもらえない場合があるということ。
こんな事例が書かれていた。
2階に住む親と1階に住む子の交流がなく、親が息絶えたことに子が1週間気付かないというケース。
また、リビングで亡くなった夫を認知症の妻が「お父さんが寝たまま臭くなった」と見守り、1ヶ月放置したケース。
さらには、親の介護をする50代の子の体調が急変して亡くなり、続けて80代の親が亡くなるという『ダブル孤独死』のケース。
超高齢化に伴って、孤独死のパターンも多様化しているようだ。
では、長期間気付いてもらえない惨めな孤独死を防ぎ、『理想の孤独死』を叶えるためにはどうすればいいのか。
「早く見つけてもらえる手を打っておく」ことだと識者は口を揃えている。
家族や友人を頼れない場合は、官民のサービスを利用するのが良い。
例えば、東京都板橋区なら『高齢者緊急通報システム』というのがあるらしい。
民間の警備会社も見守りサービスを提供しており、ALSOKの『みまもりサポート』やセコムの『親の見守りプラン』というものがある。
皆がよく使っているであろう LINEにも『エンリッチ見守りサービス』がる。
各種、有料・無料プランがあるようなので自分に合ったサービスを検討してみてはどうだろうか。
何度も言うが、終活の中で一番大切なのは意思表示をしておくことである。
お葬式やお墓のことも大事だが、自分が死ぬまでのこと、どういう最期を迎えたいかを決めておくことが重要である。
延命治療を含め、自分の死を誰かに決定させることはあってはならない。
自分の準備次第で、孤独死は極上にも悲惨にもなる。
どのように生きて、どのように孤独死を迎えるかが大切なのである。