私は終活の中で自分の意思表示をしておくことが一番重要だと考えている。
病気やケガの損傷で脳の機能が止まった時、あるいは認知症になった時などは自分の意思を伝えることができなくなってしまう。
これは怖いことだと思う。
家族や周りの人があなたの寿命を背負うことになるからだ。
介護や医療(延命治療)に関しては、早めに家族と話し合っておくことを切に願う。
少し前に「名医たちが明かす”私は延命治療を受けたいか受けたくないか”」という記事を読んだ。
日本医師会では『生命維持処置を施すことによって、それをしない場合には短期間で死亡することが必至の状態を防ぎ、生命の延長を図る処置・治療のこと』というのが延命治療の定義だが、曖昧な部分もあるみたいで病気によっても医師によっても違うらしい。
人工栄養・人工呼吸・人工透析はもちろん、つらく苦しい抗がん剤治療も延命治療と捉える医者もいるとのこと。
昔は病気になれば医師の診断のもと治療が施され、手の尽くしようがなくなった時が人生の幕を閉じる瞬間だった。
しかし今は医療の進歩によって皮肉にも”命を延ばす”ことが可能になり、”管に繋がれた状態”で日々を生きる人が増えているのが現実。
多くの延命治療は苦痛を伴うのも事実で、家族としては本人に長生きしてもらいたい一心で延命治療にゴーサインを出し、その結果本人の苦しむ姿を目の当たりにするケースも少なくないのだとか。
名医のケース①
「治る見込みがあれば延命治療を受ける。可能性が高くないと判断したら受けない。」
この先生は自分が若い頃に医者として可能な範囲の治療を最後まで続けていたが、結果として出血やむくみ、黄疸が出て、生きたまま人体が腐るようになっても治療を止められず悲惨な状態になった患者をたくさん見てきたと言う。
無理矢理食べさせ、点滴し、酸素マスクをして数日や一週間寿命が延びても本人が苦しむだけ。
高齢で寿命が近づいた患者に対して医療は無力だと感じたそう。
また、多くの人は延命治療に幻想に近い期待を抱いて現実を見ようとしないとも。
自身の父親は認知症で寝たきりだったが、延命治療を望まず自宅で看取り、母親も祖父母もみな家で死を迎えたと言っている。
そういう経験上、過度な医療を受けずに死ぬことが最も穏やかで好ましい死につながると確信したそうだ。
名医のケース②
「治療しても以前の状態に戻らないのであれば延命治療は受けない。」(例えば脳出血で脳の中枢をやられて意識が戻らないなど)
この先生は延命治療とは何か、自分はどう生きたいかという価値観にまで踏み込んで話し合っておいてほしいと考えている。
完全な答えでなくても、何かがあった時の判断にする根拠になるから。
自身の父親が急病のため亡くなる少し前、延命治療について話す機会があったそうで「機械に繋がれてまで生きたくない」という父親の思いを聞いていたので、実際に倒れた際、救急医とスムーズな意思疎通ができたと言っている。
「もう治療はいりません」と医師に宣告し、配偶者や親の死を後押しするのは家族にとって十字架を背負うに等しい。
確かにその通りで、本人の意思をクリアに伝えておけば家族が苛まれる罪深さや自責の念を軽減できるはず。
自分の場合はどうだろう・・・
祖父が施設に入所する際にも聞かれた。
「もしも、もしも万が一のことがあった時は延命治療はどうされますか?」と。
本当にそうなった時には再度確認の連絡をしてくれるらしいが、電話に出られない時かも知れない。
入所手続きの時に聞かれ、母と私は一応答えを出してきた。
認知症になってこちらの言っている言葉をあまり理解できなくなった祖父の本心を聞くことはもうできない。
祖父の寿命を握っているのは間違いなく私たち家族。
いずれ人は死ぬ・・・。頭では分かっていても重い十字架を背負ったことに変わりないことをこの時悟った。