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*変わらぬ友情
十数年ぶりに親友と会った。
お互い結婚して住む場所が離れてしまってから疎遠になっていたが、先日、彼女の誕生日だったこともあり勇気を出してLINEをしてみたのだ。
中学・高校の時、そして社会人になってからもよく遊んでいた親友の一人だったので、ずっと気にはなっていた。
毎年彼女の誕生日が近づく頃、昔カラオケで彼女がよく歌っていた曲が車で流れた時など、私はことあるごとに彼女のことを思い出していた。
しかし生活環境が変わる中で「子育て忙しいかな?」とか「私とは別の友達ができたかな?」など、要らぬ気を遣って何年も連絡できないでいたのだ。
終活を勧める立場の私は、人が最期を迎える時に後悔することを知っている。
やりたいと思うことをやらなかった後悔が一番心残りになるということを学んだから。
「時間がないから」「お金がないから」「もう歳だから」・・・
これらの理由で一歩が踏み出せなかった時、最後の最後で人は後悔をするのだ。
そんなこともあり、今年は思い切って彼女に連絡をしたのである。
久しぶりに会った彼女は何も変わっていなかった。
お互い少しは歳をとったが、十数年という年月が経っても彼女は彼女のままだった。
現在の仕事のことや子育てがひと段落ついたこと、私が起業したことなど、話は尽きなかった。
会うまでは「変わってしまっていたらどうしよう」などと考えていたが、昔のままの彼女で私は嬉しかった。
会っていない間に大変なこともあったと聞き、連絡しなかったことを私はひどく後悔した。
大したことはしてあげられなくても、話を聞いたり側にいてあげることぐらいはできただろうに連絡することを躊躇っていた自分を恨めしく思う。
今回のことで改めて学んだ。
この先の人生で後悔を残すより、思ったことはまず行動に移してみる大切さ。
やりたいと思ったことは何でもやってみる。
行きたい所に行ってみる。
会いたい人に会いにいく。
『人生は一度きり』
そこを踏まえて後悔のない人生を。
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*家族のカタチ
『墓じまい』ならぬ『家族じまい』という言葉があるのをご存知だろうか。
家族関係を見つめ直し、場合によっては関係性を整理すること意味する。
例えば、子どもがいたからこそ成り立っていた夫婦は、子どもの独立と同時に離婚を選択したりする。
夫婦関係だけでなく、兄弟間のトラブルや親子関係の不和から家族じまいを考える方もいるそうだ。
必ずしも縁を切ってしまう場合ばかりではなく、距離を置くなど、家族との関わり方を見直すといった場合にも使われる言葉である。
家族だからといって何でも許される訳ではない。
「配偶者からのDVに悩んでいる」「親の介護に疲れてしまった」など、精神的に限界を感じてしまった時は迷わず自分を一番に考えてほしい。
もはや家族というだけで同じお墓に入る時代ではないのだ。
家族というのは血の繋がりだけで語れるものではない。
そもそも夫婦は血縁関係ではないし、再婚相手に子どもがいたりすると血の繋がりはないが家族になる。
家族の定義は、その人の価値観や状況によって異なる。
”終活の一環で家族じまいを考えている”という記事を読んだ。
70代のこの女性は、自分のことが一人でできなくたった際、子どもには迷惑をかけたくないという想いから、施設に入所する時点で子どもとは距離を置く家族じまいの選択を決めているそうだ。
この先起こる自分の状況を整理し、より良い未来のために考えることはとても大切だと思う。
今まで家族のために何かを我慢してきたり、自分を犠牲にしてきた方は『家族じまい』を考えるのもアリではないだろうか。
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*夏と高齢者
「暑いですね〜」
最近は人に会うたびに第一声がこれのような気がします(笑)
皆さん、いかがお過ごしですか?
梅雨明けが早すぎて、すっかり夏ですね。
暑さに老いも若きもないですが、やはり高齢者は特に気を付けないと夏バテしてしまうと思います。
筋肉量が減り、身体の機能が低下している高齢者は少しの油断が熱中症につながります。
以下のことに気を付けて生活していただきたいです。
- 暑い時間帯の外出は控える
- 出かける時は日傘や帽子、通気性の良い長袖の服を選ぶ
- 水分補給を忘れず、こまめに飲水する
- 室内の温度を調整する
高齢者の中には”もったいないから”とか”暑くないから”といった理由でエアコンや扇風機を使いたがらない人もいます。
でも、考えてみてください。
一番大切なのは自分の命です。
自分が快適に過ごせる環境を優先しなければ大変なことになります。
特に認知症になった場合、体温調節ができず、自分の着る服が選べない方もいます。
私の祖父がそうでした。
去年の夏、裏起毛のトレーナーに半纏を着て現れ、私をはじめ家族を驚かせました。
すぐに着替えてもらいましたが、背中は汗びっしょりで、でも本人は何とも思っていない様子。
高齢者は自分で気温や体調の変化に気付いていない場合もあるので、周りの人が気にかけてあげましょう。
当たり前のことですが、「食べること」「寝ること」「動くこと」は高齢者でなくとも生きていくうえで、とても大切なことです。
この夏を乗り切るために、普段の生活を見直し、生活のリズムを整えましょう。
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*推し活のススメ
最近よく耳にする『推し活』
自分の好きなアイドルやキャラクターなどを応援することを『推し活』と言うが、年代を問わずブームになっている。
コンサートに足を運びグッズを購入する、SNSで推しの魅力を発信して同じ仲間と交流する、推しにゆかりのある場所を訪れ体験を共有する聖地巡礼。
『推し活』には様々な形がある。
『推し活』の対象は生身の人間だけとは限らないのが面白いところ。
アイドルや俳優、スポーツ選手はもちろん、アニメやゲームのキャラクター、さらには建造物や鉄道まで幅広く”推し”の対象になる。
ではなぜ今『推し活』がブームになっているのか。
『推し活』をするメリットとして、毎日が楽しくなったりストレス発散に繋がるという点が考えられる。
嫌なことがあった時に”推し”の存在が癒しになったり、同じ”推し”を応援する仲間と「自分の好き」を共有することで連帯感や充足感を高め、より豊かな人生を送ることができるのではないだろうか。
好きなこと(もの)に夢中になれるということはイコール生きがい。
今まで仕事や子育てが生きがいだった方は定年を迎えたり、子どもが手を離れると自分の生きがいを失いがちになる。
そんな時こそ新たな生きがい(推し)を見つけてみてはどうだろうか。
”推し”のファンミーティングで新しい友達をつくったり、昔大好きだったアーティストのコンサートに行くなど、今まで自分の時間がなかなか取れなかった人は仕事や子育てが一段落ついた今こそ『推し活』に沼るチャンスだと思う。
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*ゆりかごから墓場まで
老衰やがん、認知症などの進行によって医学的に治療や延命が不可能になった状態で、余命が数ヶ月ぐらいだと想定される時期を『終末期』といいます。
この場合、ほとんどが要介護状態を経て最期を迎えます。
介護度が上がり、認知症が進行すると、日常的な言語的コミュニケーションが難しくなるので、本人に対して現実見当識を求めるのではなく、仕草や表情を読み取って、本人にとっての心理的真実をそのまま肯定的に受け止めていくようなコミュニケーションの仕方が重要になってきます。
私の祖父も認知症が進み、ほとんど喋らなくなりました。
面会の時に「私は誰?」と聞いても何も答えず、しつこく聞いて、やっと「ま・・・ご」と言うぐらいです。
1年前と比べたら表情も乏しくなり、その時何を考えているのか、どうしてほしいのかを読み取るのは非常に難しいです。
このような非言語的なサインを読み取りながら進められるコミュニケーション技術は、一方で昏睡状態の人とコミュニケーションする技にもつながるのです。
これは母親が直感的に赤ちゃんのニーズを読み取って世話していくプロセスにも通じるものがあります。
終末期のケアにおいては、人生最初期のケアに関する経験も役に立つのです。
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*自分らしい葬儀
自分らしく最後を締めくくるためにどのような葬儀を行いたいか考えておくことは、終活をするうえで重要なことです。
急に大きなお金が必要になる葬儀については、家族も心配しているはずだと思います。
希望する葬儀と費用については家族に伝えておくことを忘れないでくださいね。
葬儀全般の希望としましては、派手で盛大にしたいのか、または家族葬のような身内だけで済ませたいのか。
そして個別の希望がある場合は、そのことについても家族と話し合っておくのがいいですね。
葬儀をする場所をはじめ、喪主や戒名、祭壇の飾りなど、自分の葬儀を自分でプロデュースしたい人もいるでしょう。
葬儀で使用してほしい音楽や使ってほしい花、遺影などをエンディングノートを活用して指定することができます。
最近では葬儀に使ってほしい「音楽」と「遺影」の写真を入れたDVDをエンディングノートに挟んでおくという人も増えているそうですよ。
遺影は探すのが結構大変だったりします。
亡くなって慌ただしい中、悲しみに暮れる暇なく時間は過ぎていきます。
残された者の負担を少しでも減らすべく、自分で準備できることはしておいた方がいいですね。
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*6月のあれこれ
今回は終活以外のお話。
6月といえば梅雨ですよね。
なんだかジメジメして体調も崩しがちになっていませんか?
洗濯物は溜まるし、家事をする者にとってはなかなかしんどい季節です。
雨の日が多いうえ、6月は祝日がないので家族でお出かけする機会も減ってしまいますよね。
そんな時は室内でできることを楽しみましょう。
家の大掃除をしたり部屋の模様替え、または静かな図書館に行って雨音をBGMに本の世界に没入できるのもこの季節ならではの楽しみ方ではないでしょうか。
他にもこの先やってくる夏休みや連休の計画を立てるのもいいと思います。
楽しみがあればその日まで頑張れますからね♪
さて、話は変わって『ジューンブライド』も6月の行事の代名詞ですが、「なぜ雨の多い6月に結婚式?」と思いますよね。
『ジューンブライド』とは梅雨のない西洋の文化における習慣だからです。
西洋では天候の安定した季節なので結婚式に最適だそうです。
”6月に結婚する花嫁は幸せになれる”という言い伝えを現代っ子は知っているでしょうか?(笑)
夫婦別姓などが騒がれている昨今ですが、昔は好きな人の苗字になるのが憧れだった時代もあるのです(笑)
今は女性が働くのも当たり前になり、結婚のために免許証やら通帳の名前を変えるのが女性だけの負担になるのはおかしい時代になりました。
この辺がネックで結婚に踏み切れない方もいるのではないでしょうか。
日本はだいぶ遅れているような気がするジェンダー問題など、皆が心地よく過ごせるようになればな・・・とパソコンの前で一日過ごす雨の日でした。
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*ご縁(その2)
先日、とある方のご紹介で写真家の方とのご縁がありました。
詳しいお人柄については後日にしますが、『フットワークが軽く行動的で、ポジティブだな』という印象を受けました。
まさに私には無い部分を持ち合わせており、見習いたい部分が多い素敵な女性です。
そんなカメラマンさんと、この度お仕事でご一緒させていただくことになり、ただいま企画を練っているところであります。
私の仕事である終活相談(セミナー)とプロのカメラマンさんによる生前遺影の撮影というスペシャルコラボ。
具体的な内容や料金につきましては、決まり次第お知らせします。
例えば、余命宣告されているような場合は事前に遺影の準備をしている場合もありますが、ほとんどは亡くなった後に家族が写真を探し回って遺影にすることが多いです。
自分の死後、家族が慌てて写真を選ぶのではなく、自分のお気に入りを遺影にしませんか?
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*どんどん外へ
つい先日、夫と某ファストフード店に行った時のこと。
久々に行ったその店舗は注文の仕方が以前と違っていた。
テイクアウトもイートインもオーダーはタッチパネル方式になっていたのだ。
機械は2台あり、私たちの前には高齢の女性2人組。
どうやらタッチパネルの使い方が分からず、とまどっている様子。
店員さんを呼ぼうとしていたが、気付いてもらえず私に声をかけてきた。
私もそのお店の機械は初めてだったが、何とか教えてあげることができ、その方達にお礼を言われた。
考えてみれば、最近はコンビニや飲食店も人を介さず注文をしたり、お会計をすることが増えたと思う。
自分のスマホからQRコードを読み取りオーダーすることは高齢者にとっては少々、いや、かなりハードルが高いような気がする。
もちろんスマホやパソコンを使いこなす高齢者もいると思うが、大半は今の時代の便利を不便と感じているのではないだろうか。
コンビニも店員さんを呼べばレジ対応をしてくれるが、品出しをしている途中で声をかけるのは申し訳ないと思ったり、呼んでも嫌な顔をされたらこちらも気分が悪い。
以前、私の祖父がコンビニで買い物しているのを偶然見かけたので様子を見ていたら、呼んだ店員さんは面倒そうな態度でレジ対応をしているのを見て、私は心が痛くなった。
自分にとっては当たり前にできることでも、困っている人を見かけたら助け合いの精神で優しく接してほしいと思う。
話を戻すが、冒頭で話したファストフード店で出会った女性2人組は帰り際にも話しかけてくれて『私たち80代だけど、この店に一度来てみたくて・・・ありがとう』と再度お礼を言ってくれた。
年齢を聞いて、何歳になっても挑戦するということは素晴らしいことだなと思った。
困り事があっても助けてくれる人はいるはずだから、高齢になっても健康でやりたいことがあるうちは、どんどん外に出かけてほしいと思う出来事だった。
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*早めの取り組みを
『20代で”終活”増加中』
毎日新聞でこんな見出しの記事を読んだ。
簡単に内容を説明すると、20〜70代の男女1500人を対象に葬祭事業社が実施した調査では、約6割の人が自身の葬儀をしてほしくないという結果が出た。
4人に1人が終活に取り組む中で、20代もかなり多いことが分かったというものである。
私自身も個人的に周りの人に終活に関するアンケートを取っているのだが、高齢者といわれる世代の人より、私の年代である40〜50代の人の方が終活に関心を持っているような感じがした。
最近でこそ終活という言葉は定着してきたが、実際にしている人が少ないのもまた事実。
昔は終活なんて言葉がなかったのだから高齢者がピンとこないのも当たり前である。
しかし時代は変わった。
親戚や隣近所で何でも解決してきた昔と違い、今は専門業社にお金を払って頼むのが一般的である。
高齢化社会になり、老後と呼ばれる期間から人生最期の日の迎え方も大きく変化した。
納得のいく最期を迎えるためにも、人生について考える終活は大切なことである。
病気になって入院することになった時、介護が必要になった時、考えたくはないが自分が亡くなった後のこと。
終活は早め早めの取り組みが成功の秘訣である。
終活に必要な”気力・体力・判断力”が揃っている今こそ、始めるのがベストではないだろうか。