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*おじいちゃんの事件簿1
認知症の全ての人がそういう風になるのかは分かりませんが、祖父の場合は『食』に執着がありました。
ヘルパーさんに聞いたら「認知症の方は満腹中枢の機能が低下することで常に空腹状態にあるのかも知れない」と教えてくれました。
目の前にある食べ物は全部食べてしまう状態だったので、食事はその日の分を家族が毎日持って行くようにしていました。
食事を持って行った時に家の中の様子を確認するのですが、ある時、ブラックコーヒーらしき黒い液体が入ったマグカップが食卓に置いてありました。
その頃祖父の家にはインスタントコーヒーを置いていなかったので、おかしいなと思い本人に聞いてみても「分からん」と言うだけで、明らかに変な液体を飲もうとしていました。
周りを観察してみると、何やら小袋の封を切った形跡が・・・
食品などに入っている乾燥剤の袋でした。
祖父は乾燥剤の中身を水で溶かして飲もうとしていたのです。
何事もなかったので笑い話で済みますが、その時はヒヤッとしました。
私は家に帰って実験をしたら、全く同じ飲み物ができました(笑)
見た目は薄めのブラックコーヒーです。
この乾燥剤以外にも、防虫剤がタンスから出され食卓に置いてあったこともあります。
その時はたまたま見つけることができたので捨てることができましたが、以前からこういうことはあったかも知れません。
常に空腹状態の祖父はよく食べました。
ペットボトルや紙パックのジュースも1日で飲んでしまったり予備に渡していたパンなども一気に食べてしまうので、食事はその都度用意するようにしていました。
昼食を持って行った時に夕食分をクーラーボックスに入れて、それを祖父の分からない所に隠して、夕方に来るヘルパーさんに出してもらうというような感じにしていました。
食べたい時に食べ物がないのも可哀想だとは思いましたが、祖父は糖尿病も患っていたので仕方ありませんでした。
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*人生で大切な5つの仕事
- 人生の意味を見つけ出すこと
- 自・他を許し、許し合うこと
- 「ありがとう」を伝えること
- 「愛しているよ、大好きだよ」を伝えること
- 「さよなら」を告げること
死の間際に人は何を成し遂げようとするのか?
ホスピス医のスコット・エヴァリィは、終末期における人の魂の働き方について、5つのテーマにまとめています。
「さよなら」を告げることについてですが、人生には終末期における『大きなさよなら』だけではなく、私たちには毎日の生活の中で様々な『小さなさよなら』があります。
私の場合、夫を仕事に送り出す時が『小さなさよなら』です。
「行ってらっしゃい」と送り出したあと、もしかしたら通勤途中に事故に遭うかもしれません。
このように学校や仕事に出かける時、また遊び終わって家に帰る時など、人は『小さなさよなら』を繰り返しています。
小さな子供にとっては、親がトイレに行くことさえ『さよなら』になるのです。
子供に対し「おトイレに行ってくるけど、すぐに戻るからね」と丁寧に説明することが、いつくるか分からない最期の時に備える大切な準備の積み重ねになります。
普段、当たり前のように生活していますが、終末期でなくとも人の人生はいつどうなるか分かりません。
そのことを頭に置き、毎日を大切にしたいですね。
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*終活ライフケアプランナーという仕事
『終活』という言葉が浸透してきた今、流行りに乗っかって起業した訳ではありません(笑)
認知症の祖父を見守ってきた中で、準備しておくことの大切さを知ったからです。
祖父は一人暮らしでしたが、娘である私の母や孫の私が近くに住んでいたので毎日の食事や普段の生活も気にかけてあげることができていました。
しかし頼れる人が近くにいない高齢者の方は不安なことがたくさんあると思います。
だからこそ、ある程度の年齢になったら残りの人生のことを考えて準備しておくことは非常に大切です。
身体が元気なのはもちろん、自分で考えて判断できるうちに自分なりの終活を始めていただきたいです。
「あなたに介護が必要になった時、どんな支援を望みますか?」
「あなたにもしものことがあった時、延命治療はどうしますか?」
何となく終活が大切なことというのは分かっていても、なかなか進めることができない方が多いと思います。
実際、具体的に終活を行なっている方は少ないのが現状です。
まずは何から始めたら良いのか、インターネットや書籍で溢れている情報が多すぎて自分に合った終活が分からないという方もいるでしょう。
制度や状況も変わっていくので尚更です。
そんな時に終活ライフケアプランナーに相談してもらいたいです。
終活の有効性を伝え、終活に迷いがある方の話をじっくり聞き、具体的に終活を進めるお手伝いをするのが私の仕事です。
エンディングノートを一緒に作成することも可能です。
カードゲーム(もしバナゲーム)をしながら楽しく将来のことを考えることも可能です。
これからの高齢化社会を心地良く、心豊かに、安心して暮らしていくためのサポートをさせていただきます。
私もまだまだ勉強中ですが、少しでもお役に立てればと思います。
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*終活の心得
何のために終活をするのか?
人生は予期せぬ出来事の連続です。
人生100年時代といわれ、「80歳ぐらいまではこのまま元気にやりたいことをやって・・・」と考えている方もいるようですが、そう上手く思い通りに進むとは限りません。
少々面倒だと思うことでも、身体が元気なうちに、そして自分の意思表示ができるうちに終活に取り組んでいただきたいと思っています。
今回は『終活の心得』について書きます。
①自分が満足する生き方、締めくくり方を考える
自分の死期が迫ったと感じた時、多くの人が思うことは「やりたいと思ったことをやっておけば良かった」という後悔だそうです。
時間がない、お金がない、もう歳だし・・・と、言い訳を探して本当にやりたいことをやらなかったことが心残りになります。
そうならないためにも、『やりたいことリスト』を作るのはどうでしょうか。
優先順位をつけて、ひとつひとつクリアしていくのです。
周りの目は気にせず、多少迷惑をかけることになっても、人がどう思おうと自分が満足する生き方、人生の締めくくり方を選択することができます。
②家族や周囲に過度な期待をしない
「自分にもしものことがあったら、家族がいいようにしてくれるだろう」という期待は禁物です。
介護が必要になったら、入院することになったら、死んだ後は・・・と、何でもかんでも家族に任せるのではなく、自分はどうしてほしいのかを伝えておきましょう。
『本人にとっていいようにしてくれること』と『家族がいいと思ってすること』は違います。
家族に対して「分かっていてくれるだろう」「任せておけば大丈夫」ではなく、自分がどうしてほしいのか具体的に決めておくことが重要です。
③お金だけでないセキュリティーネットワークを作っておく
家族、ご近所さん、趣味の仲間・・・あなたのことを気にかけてくれる人はいますか?
この世の中、お金を出せば大抵のことは解決できますが、こういう身近な方々はお金をかけなくても話を聞いてくれたり気にかけてくれたりします。
人間関係は1日にしてできるものではありません。
日々のお付き合いの中で築き上げていくものです。
近所の集まりや地域のボランティアなど、動けるうちは積極的に参加しておくのが良いでしょう。
年齢の異なる友人を作るのもおすすめです。
年上の友人からは人生のアドバイスをもらえたり、これから自分が経験していく色々なことについて学ばせてもらうことができます。
しかし年上の友人や同い年の友人たちは年齢を重ねるごとに一人また一人と病気や怪我で外へ出ることが少なくなる可能性があるので、元気な年下の友人を持つことも大切です。
食事会や旅行なども誘ってもらいましょう。
④ユーモアと感謝を忘れない
ユーモアのあるところには人々の笑顔が溢れ、人とのコミュニケーションが活発に行われます。
医療や介護の現場では辛く苦しいこともありますが、ユーモアがあればお互い優しい気持ちで楽しい時間を過ごすことができます。
また、介護や看病をしてもらっていることを当たり前と思うようになると甘えが出ます。
「ありがとう」という気持ちを忘れないようにしましょう。
日本人はよく「すみません」という言葉を使いがちですが、「ありがとうございます」と周囲の厚意を素直に受け取るのが一番です。
⑤余計な遠慮はしない
遠慮をしすぎると、かえって迷惑になることもあります。
周囲の人たちも、その人が快適に過ごせるように、喜んでもらえるように動いているにもかかわらず、遠慮されてしまうとせっかくの厚意がが無駄になってしまいます。
余計な遠慮はせずに、ありがたく受け取ることが大切です。
⑥してほしくないことははっきり伝える
遠慮ではなく、してほしくないことやいらないものははっきり「NO!」と伝える必要があります。
無理して受け取り笑顔でいたり我慢していると、喜んでいると勘違いされて何度も同じことが繰り返される可能性があるので注意する必要があります。
終活は知ることから始まり、自分の意思を明確にし、やるべきことをやり、周囲に伝わる仕組みを作ることがポイントです。
自分が納得できる最期を迎えるためにも、『気力・体力・判断力』が充実している時期から準備をすることがとても大切です。
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*死は誰のものか
以前ブログの『具体的な終活』の中で延命治療について書きました。
その中で安楽死と尊厳死の違いを説明しましたが、自分の最期を考えることは終活をする上で大切なことです。
スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、アメリカのオレゴン州やワシントン州では法的に認められている安楽死ですが、患者からの自発的な要請に応えて医師が執行した場合に責任を問われないという形での承認になっています。
一方、終末期の患者本人の意見に基づいて過剰な延命措置をせずに人間としての尊厳を保って自然な死を迎えるのが尊厳死です。
自分の最期はどうしたいか、その希望を家族や医療者に伝えておくことはとても重要です。
延命治療を希望しないのであれば、自分の意思を全うするためにも尊厳死の意向を示す書類、尊厳死宣言書(リビング・ウイル)を作成するのがいいでしょう。
リビング・ウイルは、本人が医療者からの説明を受けた上で、意思表示をすることができなくなった場合にどのような医療的処置を望むかに関して事前に詳細を指定する書類です。
尊厳死宣告書(文例)
(リビング・ウイル)
私〇〇は、私の傷病が不治であり、かつ自らの死期が迫っている場合に備えて、私の家族及び医療にかかわっている方々に以下の要望を宣言します。
①私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命治療はお断りいたします。
②ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な緩和医療を行なってください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従ってくださった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。
記入日 年 月 日
氏名 印
電話番号
生年月日
性別[ ]
「死は誰のものなのか」
本人の自己決定だけを主張するのであれば、安楽死における患者本人の「死ぬ権利」を重視する流れに抗することは難しくなってきます。
生まれてくる現場においても、「命を授かる」側面に加えて生殖医療によって「命を作り出す」側面が出てきたために、出生前診断などの新たな問題が発生してきています。
尊厳死の問題は、医療技術の進化に伴って本人の自己決定権を踏まえた上で「死は誰のものなのか」という問題に関して考え直していかなければならない現実を突きつけているのではないでしょうか。
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*さまざまな喪失
私は終活ライフケアプランナーの資格を習得するにあたり、生きている間にする終活についてはもちろんのこと、終末期や死生観についても学びました。
終末期の方とどう向き合うのか、死は誰のものなのか、死ぬ前はどういう状態になるのかなど、重い内容に勉強中は気分が落ち込むことも少なくありませんでした。
しかし、その中で『あいまいな喪失』という言葉を知り、悲しみに対する向き合い方も少しですが分かったような気がします。
東日本大震災による行方不明者の家族支援のために広く認知され始めた概念で、『あいまいな喪失』には「さよならのない別れ」と「別れのないさよなら」という二つのタイプがあります。
家出や行方不明者のように、身体が不在になってしまったのに心の中にはまだその人がしっかりと存在しているようなタイプの喪失が「さよならのない別れ」です。
一方、認知症やワーカホリック、家庭内別居のような状況では、目の前にその人の身体が存在しているのに心の中では「父親・母親」あるいは「夫・妻」としての相手はすでに不在になってしまっているのが「別れのないさよなら」です。
あいまいな喪失という概念を知っておくことで、こうした状況の複雑さによって悲しみが複雑化していくことを予防できます。
あいまいな喪失に対処していくためには、「いないけどいる」、「好きだけど嫌い」という一見すると矛盾するようなものの見方を受け入れていくことが大切になります。
家庭内での見解の相違を許すこと、家族における役割を固定化させてしまわないこと、コミュニティの中に家族のように接することができる人を見つけていくことなどが必要になります。
他にもさまざまな喪失があります。
中絶や誕生死などにまつわる悲しみに関しては本人がその気持ちを語ることは社会的にほとんど認められていません。
こうした喪失は『承認されない喪失』と呼ばれています。
また、成長過程においても喪失体験はあります。
下の子が生まれたために、それまで独占していた親の愛情が弟や妹に移ってしまったと感じるのも喪失の一つです。
大切な人を亡くした時、失った人が自分にとってどんな意味を持っていたのかを見出せると、その人のいない人生を生きていく心の準備ができます。
悲しみは消えるものではありませんが、泣き笑いながら思い出せるようになると、人生の一部として抱えながら生きていけるようになるのです。
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*高齢者終末期の3パターン
終活を進める中で、やはり意識しなければならいのが「死」についてです。
これがあるから終活をしたくないという人もいるのではないでしょうか。
私のような40代と80代の人では「死」に対する考え方も全然違うと思います。
40代の人がこのまま健康に過ごすことができれば、不慮の事故にでも遭わない限り「死」はまだ先のことと思えます。
単なる順番からいえば80代の人が先に亡くなるでしょう。
しかし人生は分かりません。
先日お坊さんのYouTubeを観たのですが、視聴者さんからの質問にお坊さんが答えるという内容でした。
その視聴者さんは寿命に関する質問をしていたのですが、「たくさんの死を見てきた私でも命に関しては分からないことが多い」とお坊さんは仰っていました。
『寿命がいつ来るかは分からない→諸行無常
死は歳をとった順番ではない。
知らず知らずのうちに勝手に期待して、間違った考えを持っている→幻想の安心感』
と、説いておられました。
確かにそうですよね。
悲しいことですが、生後すぐに死んでしまう赤ちゃんもいます。
100歳を過ぎた高齢者もいます。
寿命は誰にも分かりませんが、ある程度年齢を重ねると自分の最期を考えたりしませんか?
病気で死ぬのか、老衰なのか・・・
今回は、高齢者の終末期について説明したいと思います。
がん
がんの場合は、死亡の数週間くらい前までは比較的機能が保たれ、急変して死に至るというパターンが見て取れます。
体調不良から病院に行き、余命宣告をされたとしてもある程度準備しておくことができます。
手術や抗がん剤治療などをして病気とつきあいながら生活をしている人もいるでしょう。
しかし急変によって、希望していた場所での最期が迎えられないこともあります。
臓器の慢性疾患
臓器の慢性疾患の場合には、悪化と回復を繰り返しながら最期を迎えるパターンが見て取れます。
風邪が引き金になって悪化する場合も多いので、感染予防が大切になります。
また、経過の後半では治療しても回復するかの予想が困難となるため、「今後良くなるだろう」という家族の予想が裏切られて後悔が残ることも少なくないようです。
死に対する心の準備をしておくことも重要です。
老衰や認知症
老衰や認知症の場合には長い時間にわたり徐々に機能が低下していきます。
長期間にわたるため、家族の介護負担についても考えなくてはなりません。
本人の意思を確認することは難しくなりますが、ある程度予測しうる経過をたどって、住み慣れた環境や関係の中で最期を迎える可能性は高くなります。
高齢者の終末期には3つのパターンがあることが知られています。
どのような最期になるかは分かりませんが、死ぬその前までどんな人生を送ってきたのか、どのように生きてきたのか、そこが重要だと私は思います。
for a happy ending(幸せな結末のために)
「死」について考えることで、今を大切にできるのではないでしょうか。
どんな老後を送りたいか、どんな最期でありたいか、ぜひ自分自身と向き合ってみてほしいです。
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*親と子のジェネレーションギャップ
これは完全に『私調べ』だが、私は終活に関するアンケートをとっている。
対象者は40代〜80代の男女。
「いつ頃、終活を始める予定ですか?」という質問にやはり多かったのが「60歳頃から」という答えだった。
一般的な回答であると思う。
すでに60代以上の方は「終活をする予定はない」または「80代」と答えた方もいた。
中には身の回りの不用品を処分したり、知人に譲ったりと断捨離をしている方はいた。
私が終活を勧めるのは高齢者だけではない。
40代・50代の方にも終活を勧めている。
いや、心構えとして40代・50代の早いうちから知ってもらいたいと考えている。
終活を勧める中で難しいなと感じるのが世代間ギャップである。
40代・50代の方には比較的話を進めやすいが、私の母を含め、60代以降の方にはなかなか理解してもらえないのが現状だ。
そもそも親世代に”終活”や”断捨離”といった言葉が浸透していないのだ。
知っていたとしても、どこか他人事のように思っている気がする。
断捨離に関していえば、私の母もそうだが「いつか使うから」「昔デパートで買った高い服だから」と言って使わないであろう物をしまい込んでいる。(しまい込んでいる時点で使わないのだ)
こちらとしては何でもかんでも捨てろと言っている訳ではない。
もちろん60代以上の方で、不要な物に囲まれずコンパクトな生活をしている方もたくさんいる。
そういう書籍も数多く出版されている。
しかしそういう方は一部で、大半の親世代は昔の物が捨てられず大事にとってあるのだ。
私は母と同じ敷地内に住んでいるため生活の様子を時々チェックすることはできるが、親元を離れて暮らしている子は、たまに帰省した時に実家にある物の多さにビックリすることもあるだろう。
親が亡くなって片付けをするのは結局子である私たちなのだが、そんなことはお構いなしな気がする。
本当に大切な物、死ぬその時まで置いておきたい物は捨てる必要はない。
しかし高齢になるにつれ、家の中が物で溢れていると危ないのだ。
転倒の危険、棚の上から物が落ちる危険、万が一火事を起こしてしまった時の火の回りの速さ・・・
できればスッキリした場所で心に余裕を持ちながらゆったり生活してほしいのは子の願いでもある。
独居老人がセルフネグレクトになり、家がゴミ屋敷になってしまった事例もたくさんある。
元気で身体が動くうちに身の回りの物を少し見直してもらいたいのが子の本音である。
では、子が親に終活を勧めるにはどうすればいいのか?
いきなり「終活してほしい」と言っても通じない。
私のように毎日顔を合わせて会話もたくさんしている親子関係ならまだしも、実家を離れ、たまにしか会わない子どもから終活の話を切り出されても親は困惑するだろう。
「早く死ねと言ってるのか?」「財産を狙っているのか?」とも取られかねない(笑)
そんな時は、帰省などのタイミングで家族が集まる機会にでもまずは「どこか旅行とか行きたい所はない?」「やりたいことはない?」と、親の話に耳を傾けることから始めてはどうだろうか。
普段離れて暮らしているのであれば、親がどんな持病を持っているのか、かかりつけの病院はどこなのか知らない子どももいるだろう。
困っていることはないか、親の体調を気遣いながら色々な情報を聞き出すことで、何かあった時に行く病院を把握できていればこちらも安心である。
急に入院することになっても焦らなくていいように、健康保険証やマイナンバーカード、おくすり手帳などはまとめておくことも大事である。
入院給付金や一時金が入る民間の医療保険への加入の有無や入院費用を支払うためのキャッシュカードの暗証番号も聞いておければ子が立て替えることもなく支払いができるので知っておいた方がいいだろう。
子が複数人いる場合は、兄弟姉妹間で情報を共有しておくことで『もしものとき』にも連携することができる。
親の話に耳を傾けるということは、家族のルーツを知る機会でもある。
家系図を見ながら家族の歴史を聞くことは相続対策になると、以前読んだ本にも書いてあった。
両親の出会い、結婚。
もしかしたらその前に結婚歴があり、自分たちの知らない異母兄弟がいた・・・そんなケースもあり得る。
隠すつもりはなく、伝えてなかっただけという場合もあるだろう。
親が亡くなった時に誰が相続人になるのか、以前ブログで書いたように家系図を作成しておくことは終活をする中で重要なのである。
自ら率先して終活してくれるなら話は早いのだが、どうやら親世代は終活に対して前向きではない方が多く見られたので、私もそこが課題である。
いつやってくるか分からないことに備えるのは難しいかも知れないが、早いか遅いかというだけで、誰しも終わりの時は必ずやってくる。
自分の親に終活を勧めるなら、まずは親の話に耳を傾けること。
大切なのは会話をすること。
断捨離などは終活の入り口で、本当にしておかなければならないことや話し合っておかなければならないことは他にもたくさんある。
そこに気付いてもらえるよう終活を勧めるのが私の役目である。
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*孤独死は本当に孤独なのか?
これまでベールに包まれていた実態として、警察庁が5月に初めて出した統計で、今年1月〜3月にひとり暮らしの自宅で亡くなった65歳以上の高齢者はおよそ1万7000人という記事を読んだ。
このままのペースで推移すると、独居状態で死亡する高齢者は年間約6万8000人になると推計されている。
今や孤独死で最期を迎えるということは決して珍しいケースではない・・・と。
孤立死(孤独死)・・・誰にも看取られることなく息を引き取り、その後、相当期間放置される悲惨な最期。
(内閣府「高齢社会白書」より)
統計によると、孤独死は男性が多く、7〜8割が60歳以上。
女性の方が長生きなのに、男性の方が多いのはなぜか?
男性は生涯未婚率が高く、結婚していたとしても離婚をしたあとは家族と離れて暮らす人も多く、単身世帯が増加したことが理由として挙げられている。
だが女性も安心してはいられない。
生涯未婚率や熟年離婚が増えている昨今、夫と死別したり子供も独立して一人暮らしとなった今、60〜70代の女性は『孤独死予備軍』と言われている。
孤独死が増えている理由としては、高齢者と社会の接点が少なくなったこと。
家族と一緒ではなく単身で暮らしたり、近所や友人知人と交流がないなど。
前回のコラムで書いたが、定年退職してから外に出なくなった男性は家に閉じこもりがちになったりしていないだろうか。
仕事一筋で生きてきた男性は会社に行って仕事をするという人生のほとんどを占めていたものが無くなり、急に社会から取り残された感を味わうことになっていないだろうか。
男性と女性では、この点でも差が出ているように思う。
しかし、精神科医の和田秀樹さんは言う。
「孤独死は理想的な死に方だ」と。
なぜか?
よく考えてみると、死ぬ直前までは元気だったから。
俗に言うPPK(ピンピンコロリ)というやつだ。
病院のベッドで天井を見つめて死ぬのではなく、住み慣れた自宅で亡くなるのは当人にとって幸せなことではないだろうか。
ひとりであることを受け入れ、しっかり準備しておく方が心や時間にゆとりが生まれ、最期まで生き切ることができる。
そう考えれば、ある意味孤独死は理想的な死に方というのも納得である。
ではなぜ「孤独死=惨めな死」という風に認識されているのか。
それは、遺体をなかなか見つけてもらえないというイメージがあるからだろう。
死後誰にも見つけてもらえず、長期間放置された状態で遺体が腐り異臭が出ていることもあるからだ。
記事を読んでいて気になったのが、一人暮らしだけではなく『同居』の状態でも見つけてもらえない場合があるということ。
こんな事例が書かれていた。
2階に住む親と1階に住む子の交流がなく、親が息絶えたことに子が1週間気付かないというケース。
また、リビングで亡くなった夫を認知症の妻が「お父さんが寝たまま臭くなった」と見守り、1ヶ月放置したケース。
さらには、親の介護をする50代の子の体調が急変して亡くなり、続けて80代の親が亡くなるという『ダブル孤独死』のケース。
超高齢化に伴って、孤独死のパターンも多様化しているようだ。
では、長期間気付いてもらえない惨めな孤独死を防ぎ、『理想の孤独死』を叶えるためにはどうすればいいのか。
「早く見つけてもらえる手を打っておく」ことだと識者は口を揃えている。
家族や友人を頼れない場合は、官民のサービスを利用するのが良い。
例えば、東京都板橋区なら『高齢者緊急通報システム』というのがあるらしい。
民間の警備会社も見守りサービスを提供しており、ALSOKの『みまもりサポート』やセコムの『親の見守りプラン』というものがある。
皆がよく使っているであろう LINEにも『エンリッチ見守りサービス』がる。
各種、有料・無料プランがあるようなので自分に合ったサービスを検討してみてはどうだろうか。
何度も言うが、終活の中で一番大切なのは意思表示をしておくことである。
お葬式やお墓のことも大事だが、自分が死ぬまでのこと、どういう最期を迎えたいかを決めておくことが重要である。
延命治療を含め、自分の死を誰かに決定させることはあってはならない。
自分の準備次第で、孤独死は極上にも悲惨にもなる。
どのように生きて、どのように孤独死を迎えるかが大切なのである。
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*『終活』と『老活』
少し前から『老活』という言葉を耳にするようになった。
終活が専門の私は”老人がする終活”のことかと思っていたが、どうやら違うようで終活は人生の終わりに備える活動なのに対して、老活は自分らしく老後を過ごすための活動のことらしい。
定年を迎えて第2の人生を考え始めた時ぐらいから、人生の締めくくりまでを指すらしく、やりたかった事や思い描いていた夢を叶えるために活動(準備)することを『老活』というのだそうだ。
仕事をしていた時は忙しくてできなかったボランティアや習い事、旅行の予定を立てるのも『老活』の一環だと思う。
定年退職をした人が(特に男性)社会との関わりがなくなり、家に閉じこもりがちという話もよく聞く。
今まで仕事一筋で趣味もなかった人が定年になり、一気に老け込むというのも分かる気がする。
最近では定年退職後も身体が動けるうちは働くのが一般化されつつあるが、残りの人生は仕事以外で楽しみたいという人もいるだろう。
そういう人は『老活』で趣味探しをしてみるのはどうか。
一人で楽しむ趣味もいいが、できれば誰かと関わりが持てる趣味をお勧めしたい。
社会と繋がり、誰かとコミュニケーションをとることで認知症予防にもなる気がする。
何より、もし何か起こった場合に気付いてもらえる可能性が上がるのではないか。
いつも集まる場所に顔を出さなかったら、何かあったのではないか?と誰かが気にしてくれる。
そういうコミュニティは年齢を重ねるほど重要になってくる。
どんな趣味であれ、多少のお金はかかるだろう。
そのためにも老後資金はしっかり管理しておいてほしい。
あとは自身の健康だ。
介護が必要になったら様々なサービスを検討すればいいが、まずは健康でいること。
自分が気分良く、楽しい気持ちで毎日を過ごせるよう、『終活』の前に『老活』をしてみるのもいいかも知れない。