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*朝活or夜活
何年か前から「朝活」という言葉が使われるようになった。
早朝は脳が活性化することから、仕事や家事の前に読書や運動といった自分の趣味の時間に当てることにより、リフレッシュするというものだ。
朝起きて一番に陽の光を浴び、動き出すことで健康的な一日がスタートするのは分かっているが私は”朝活ブーム”の波には乗れなかった。
なにせ夜型人間だからだ。
知り合いに「朝活」を実践している人がいて、勉強したりヨガをしていると聞いて私も真似しようとしたが無理だった。
しかし最近では「夜活」というライフスタイルが生まれ、朝が苦手な私にとっては嬉しい限りである。
今年の夏は特に猛暑ということもあり、日中の暑い昼間は家で過ごして、夕方以降の少し涼しくなってから行動することが推奨されている。
例えば万博。
夜間券を購入することで、夜限定の企画などを楽しむことができるそうだ。
他にも遊園地や動物園もナイター営業している所がある。
昔では考えられなかったが、夜間のお墓参りも可能にしているお寺があると知ってびっくりした。
コロナが大流行していた頃、人との接触を避けるために出勤時間をずらした時差出勤や休日のフードコートで食事をする時間帯をずらしていたことを考えれば、日中より夕方以降に行動する「夜活」も不思議ではない。
わざわざ暑い時間帯に外に出る必要もないし、夜の方が人も少なく空いているなら使わない手はない。
一日の時間は皆平等で、その日をどう使うかは本人次第。
朝が得意な人、夜の方が動きやすい人、生活のリズムや家庭環境によってもさまざまだと思う。
自分のライフスタイルに合った方法で、仕事や家事以外の時間が充実できれば人生が豊かになること間違いなし。
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*変わらぬ友情
十数年ぶりに親友と会った。
お互い結婚して住む場所が離れてしまってから疎遠になっていたが、先日、彼女の誕生日だったこともあり勇気を出してLINEをしてみたのだ。
中学・高校の時、そして社会人になってからもよく遊んでいた親友の一人だったので、ずっと気にはなっていた。
毎年彼女の誕生日が近づく頃、昔カラオケで彼女がよく歌っていた曲が車で流れた時など、私はことあるごとに彼女のことを思い出していた。
しかし生活環境が変わる中で「子育て忙しいかな?」とか「私とは別の友達ができたかな?」など、要らぬ気を遣って何年も連絡できないでいたのだ。
終活を勧める立場の私は、人が最期を迎える時に後悔することを知っている。
やりたいと思うことをやらなかった後悔が一番心残りになるということを学んだから。
「時間がないから」「お金がないから」「もう歳だから」・・・
これらの理由で一歩が踏み出せなかった時、最後の最後で人は後悔をするのだ。
そんなこともあり、今年は思い切って彼女に連絡をしたのである。
久しぶりに会った彼女は何も変わっていなかった。
お互い少しは歳をとったが、十数年という年月が経っても彼女は彼女のままだった。
現在の仕事のことや子育てがひと段落ついたこと、私が起業したことなど、話は尽きなかった。
会うまでは「変わってしまっていたらどうしよう」などと考えていたが、昔のままの彼女で私は嬉しかった。
会っていない間に大変なこともあったと聞き、連絡しなかったことを私はひどく後悔した。
大したことはしてあげられなくても、話を聞いたり側にいてあげることぐらいはできただろうに連絡することを躊躇っていた自分を恨めしく思う。
今回のことで改めて学んだ。
この先の人生で後悔を残すより、思ったことはまず行動に移してみる大切さ。
やりたいと思ったことは何でもやってみる。
行きたい所に行ってみる。
会いたい人に会いにいく。
『人生は一度きり』
そこを踏まえて後悔のない人生を。
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*家族のカタチ
『墓じまい』ならぬ『家族じまい』という言葉があるのをご存知だろうか。
家族関係を見つめ直し、場合によっては関係性を整理すること意味する。
例えば、子どもがいたからこそ成り立っていた夫婦は、子どもの独立と同時に離婚を選択したりする。
夫婦関係だけでなく、兄弟間のトラブルや親子関係の不和から家族じまいを考える方もいるそうだ。
必ずしも縁を切ってしまう場合ばかりではなく、距離を置くなど、家族との関わり方を見直すといった場合にも使われる言葉である。
家族だからといって何でも許される訳ではない。
「配偶者からのDVに悩んでいる」「親の介護に疲れてしまった」など、精神的に限界を感じてしまった時は迷わず自分を一番に考えてほしい。
もはや家族というだけで同じお墓に入る時代ではないのだ。
家族というのは血の繋がりだけで語れるものではない。
そもそも夫婦は血縁関係ではないし、再婚相手に子どもがいたりすると血の繋がりはないが家族になる。
家族の定義は、その人の価値観や状況によって異なる。
”終活の一環で家族じまいを考えている”という記事を読んだ。
70代のこの女性は、自分のことが一人でできなくたった際、子どもには迷惑をかけたくないという想いから、施設に入所する時点で子どもとは距離を置く家族じまいの選択を決めているそうだ。
この先起こる自分の状況を整理し、より良い未来のために考えることはとても大切だと思う。
今まで家族のために何かを我慢してきたり、自分を犠牲にしてきた方は『家族じまい』を考えるのもアリではないだろうか。
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*推し活のススメ
最近よく耳にする『推し活』
自分の好きなアイドルやキャラクターなどを応援することを『推し活』と言うが、年代を問わずブームになっている。
コンサートに足を運びグッズを購入する、SNSで推しの魅力を発信して同じ仲間と交流する、推しにゆかりのある場所を訪れ体験を共有する聖地巡礼。
『推し活』には様々な形がある。
『推し活』の対象は生身の人間だけとは限らないのが面白いところ。
アイドルや俳優、スポーツ選手はもちろん、アニメやゲームのキャラクター、さらには建造物や鉄道まで幅広く”推し”の対象になる。
ではなぜ今『推し活』がブームになっているのか。
『推し活』をするメリットとして、毎日が楽しくなったりストレス発散に繋がるという点が考えられる。
嫌なことがあった時に”推し”の存在が癒しになったり、同じ”推し”を応援する仲間と「自分の好き」を共有することで連帯感や充足感を高め、より豊かな人生を送ることができるのではないだろうか。
好きなこと(もの)に夢中になれるということはイコール生きがい。
今まで仕事や子育てが生きがいだった方は定年を迎えたり、子どもが手を離れると自分の生きがいを失いがちになる。
そんな時こそ新たな生きがい(推し)を見つけてみてはどうだろうか。
”推し”のファンミーティングで新しい友達をつくったり、昔大好きだったアーティストのコンサートに行くなど、今まで自分の時間がなかなか取れなかった人は仕事や子育てが一段落ついた今こそ『推し活』に沼るチャンスだと思う。
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*どんどん外へ
つい先日、夫と某ファストフード店に行った時のこと。
久々に行ったその店舗は注文の仕方が以前と違っていた。
テイクアウトもイートインもオーダーはタッチパネル方式になっていたのだ。
機械は2台あり、私たちの前には高齢の女性2人組。
どうやらタッチパネルの使い方が分からず、とまどっている様子。
店員さんを呼ぼうとしていたが、気付いてもらえず私に声をかけてきた。
私もそのお店の機械は初めてだったが、何とか教えてあげることができ、その方達にお礼を言われた。
考えてみれば、最近はコンビニや飲食店も人を介さず注文をしたり、お会計をすることが増えたと思う。
自分のスマホからQRコードを読み取りオーダーすることは高齢者にとっては少々、いや、かなりハードルが高いような気がする。
もちろんスマホやパソコンを使いこなす高齢者もいると思うが、大半は今の時代の便利を不便と感じているのではないだろうか。
コンビニも店員さんを呼べばレジ対応をしてくれるが、品出しをしている途中で声をかけるのは申し訳ないと思ったり、呼んでも嫌な顔をされたらこちらも気分が悪い。
以前、私の祖父がコンビニで買い物しているのを偶然見かけたので様子を見ていたら、呼んだ店員さんは面倒そうな態度でレジ対応をしているのを見て、私は心が痛くなった。
自分にとっては当たり前にできることでも、困っている人を見かけたら助け合いの精神で優しく接してほしいと思う。
話を戻すが、冒頭で話したファストフード店で出会った女性2人組は帰り際にも話しかけてくれて『私たち80代だけど、この店に一度来てみたくて・・・ありがとう』と再度お礼を言ってくれた。
年齢を聞いて、何歳になっても挑戦するということは素晴らしいことだなと思った。
困り事があっても助けてくれる人はいるはずだから、高齢になっても健康でやりたいことがあるうちは、どんどん外に出かけてほしいと思う出来事だった。
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*早めの取り組みを
『20代で”終活”増加中』
毎日新聞でこんな見出しの記事を読んだ。
簡単に内容を説明すると、20〜70代の男女1500人を対象に葬祭事業社が実施した調査では、約6割の人が自身の葬儀をしてほしくないという結果が出た。
4人に1人が終活に取り組む中で、20代もかなり多いことが分かったというものである。
私自身も個人的に周りの人に終活に関するアンケートを取っているのだが、高齢者といわれる世代の人より、私の年代である40〜50代の人の方が終活に関心を持っているような感じがした。
最近でこそ終活という言葉は定着してきたが、実際にしている人が少ないのもまた事実。
昔は終活なんて言葉がなかったのだから高齢者がピンとこないのも当たり前である。
しかし時代は変わった。
親戚や隣近所で何でも解決してきた昔と違い、今は専門業社にお金を払って頼むのが一般的である。
高齢化社会になり、老後と呼ばれる期間から人生最期の日の迎え方も大きく変化した。
納得のいく最期を迎えるためにも、人生について考える終活は大切なことである。
病気になって入院することになった時、介護が必要になった時、考えたくはないが自分が亡くなった後のこと。
終活は早め早めの取り組みが成功の秘訣である。
終活に必要な”気力・体力・判断力”が揃っている今こそ、始めるのがベストではないだろうか。
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*思い出の形
皆さんは『VHSの2025年問題』というのをご存知だろうか。
これは、VHSテープの劣化により記録された映像が再生できなくなってしまう可能性が高まる問題のことである。
VHSデッキの生産は終了しているので、そもそもビデオデッキやビデオテープ自体知らない世代の方もいるだろう。
VHSテープの寿命は大体20〜30年らしいので、1990年代に普及し、家庭で使われていたビデオテープの耐用年数を迎えるのがまさに今という訳なのだ。
昔は子どもの運動会にビデオカメラを持ったお父さん・お母さんをよく見かけたものだ。
今はスマホで写真も動画も可能だが、デジカメや一眼レフ、ビデオカメラが主流の時代もあった。
最近ニュースで見たのだが、この『VHSの2025年問題』を受けて、ダビング代行業者に駆け込む人が増えているらしい。
自身でデジタル化する方法もあるが、VHS世代は若い人より高齢の人が多いと思うので、DVDやパソコンにデジタル化をすることが難しい場合にそういった代行業者が利用されているのだろう。
自分の結婚式や子どもが産まれた時の映像など、祖父母世代にとっては懐かしい思い出がたくさん残っているに違いない。
前回のブログで家族のルーツについて書いたが、家族が集まった時に昔の映像を観ながら思い出話に花を咲かせるのは実に素敵なことではないだろうか。
かくいう私も結婚式の映像はビデオテープに残している世代なので、またいつか思い出を振り返ってみたくなった時のために、デジタル化を考えている今日この頃だ。
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*見直す日
終活とは自分の人生と向き合い、過去・現在・未来の視点から考えることである。
インターネットで調べると、今日3月7日は『家計の見直しの日』であると書かれていた。
見(3)直し(7)からきているのだろう。
自分の人生を振り返り見直す・・・なんて言えば大げさに聞こえるかも知れないが、家計をはじめ、毎日の当たり前な生活を見直すにきっかけになればと思う。
家計の見直しでいえば、加入している保険やあまり利用していないサブスクの見直しをすることで毎月の出費を抑えることに繋がるかも知れない。
何もかもが値上がりしている今、不要なものにお金を使うのはもったいない。
浮いたお金で友達とランチに行ったり、趣味に使う方が豊かな時間を過ごせると思う。
他にも生活習慣の見直し。
食事はバランス良く栄養を摂取できているか。
適度な運動(無理のない程度に)を続けられているか。
こういう毎日の習慣を見直すことが将来の健康度合いにも関係してくるだろう。
今の生活を見直した時に、「これって必要かな?」と思うものが出てくるはずだ。
何となくで続けていたり、持っているものは案外不要だったりする。
スパッと手放すことで心が軽くなったり、他のことに時間を費やせるなら万々歳ではないか。
そろそろ新年度。
今までの自分を見つめ直し、新たな人生を始めるにはいい時期ではないだろうか。
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*不便を楽しむ
スマホが現代人の必須アイテムになって、もうどれぐらいが経つだろうか。
大変便利で、今やなくてはならないもの。
何かを調べるにしても、すぐに世界中と繋がることができる。
しかし一昔前はこれが当たり前ではなかった。
分からないことがあれば図書館に行って調べる。
友達との待ち合わせも今みたいにGPSでどの辺りまで来ているかなど分からず、一旦家を出ると連絡は取れない。
トレンディドラマでも恋人同士がよくすれ違っていたっけ(笑)
このようにスマホの普及で世の中は大きく変わったと思う。
だが、便利になったが故に悪いこともある。
世界中の人と簡単に繋がることができてしまうため、昔にはなかったような犯罪も起きている。
スマホがなかった時代に戻りたいとは思わないが、上手な付き合い方をしないと自分が疲れてしまうのも事実。
私もそうだが、少し時間ができるとついついスマホに手を伸ばしてしまう。
電車の中や病院の待合室ではほとんどの人がスマホを見ている。
スマホ片手に食事をしている人も普通にいる。
時間を持て余すということがなくなったのだ。
ニュースも漫画も全部スマホで完結できてしまう。
放っておいてもメールが届いたりで、心の休まる時間がないと言っても過言ではない。
そんな時には『デジタルデトックス』はどうだろうか。
『デジタルデトックス』とは、簡単に言えば周囲にあるデジタル機器と少し距離を置く、自発的に使用を控えることである。
利用時間を制限することでその時間は便利すぎる世の中から解放されるというわけだ。
「ベッドに入ったらスマホは見ない」とか「食事中はスマホを置いて料理を楽しむ」など、自分でルールを決めて実践してみてほしい。
スマホのある生活が当たり前すぎて依存気味な方にはオススメだ。
私はたまに夫婦でツーリングに出かけるのだが、車の免許を持っていればバイクは不便である。
今の時期は寒いし、夏は走っている時はいいが信号で停まったら地獄。
雨なんか降ってきたら最悪だし、一番面倒に思うのはコンビニに寄った時、ヘルメットを脱いでぺたんこになった髪の毛を隠すためにキャップを被り直したりする手間だ。
しかしこれらは夫に言わせれば「不便を楽しむ」のであるらしい。
確かに暑い寒いも季節を感じていること。
車の中では快適すぎて何とも思わない出来事だろう。
車では通れない狭い道もバイクなら見たこともない景色を見ることができる。
便利だけが良いことではないのだ。
エレベーターやエスカレーターを使わず階段を使うことは運動にもなるし、メールやLINEではなく紙とペンで手紙を書くことによって頭を使うことになる。
健康に繋がるのではないだろうか。
スマホも付き合い方を間違わなければ現代における最強のツール。
しかし一方で人を傷つけたり自分を疲れさせてしまう諸刃の剣でもある。
たまにはスマホが当たり前ではなかった時代のように、あえて「不便を楽しむ」のも良いかも知れない。
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*どうする?デジタル遺産
故人のスマホやパソコン内にある画像や文書、連絡先などのデータやインターネットのアカウントなどをデジタル遺産という。
今や1人1台はだいたいの人が持っているであろう携帯電話。
きちんと管理できているだろうか。
もしあなたが亡くなった場合、スマホのロック解除ができなければ友人知人の連絡先などが分からず、家族は周囲に葬儀の連絡ができないという事態になる。
今は昔と違い、写真も紙焼きせずスマホ内に保存している人も多いだろう。
遺影を探す際に、良い写真が見つからないというケースもある。
いざという時に家族が困らないようにデジタル遺産の取り扱いについて生前から準備しておくのが『デジタル終活』である。
こんな記事を読んだ。
身内が亡くなり、遺品の整理をしていた時にサブスクの動画配信サービスの引き落とし明細が見つかり、解約しようとサブスクの会社に問い合わせたが「パスワードが分からないとできない」と言われた。
そもそもパスワードが分からないから困っているのである。
この方は明細からサブスクの加入を知ることができたが、加入していることを知らなければずっと料金を引き落とされることになる。(引き落とし口座が凍結されたら自動的に利用停止になることもあるようだが)
エンディングノートには自分のスマホのIDやパスワード、加入しているサブスクなどの詳細を書いておくべきである。
逆に言えば、スマホやパソコンのログインパスワードを残すだけでデジタル遺産に関する問題のほとんどは解決されるという訳である。
パスワードが分からない場合、専門業者に依頼することもできるが、20万〜50万という高額な費用がかかるらしい。
しかも個人業者にロック解除を依頼すると着手金を請求され、結果的に解除されるどころか初期化されて戻ってきて泣き寝入りという最悪なパターンも考えられる。
自分が亡くなった後、家族に無駄なお金を使わせないためにもパスワードなどを書き残して保管しておくことが重要である。
とはいえ、スマホやパソコンはプライベートなツールのため、誰にも見られたくないデータもあるだろう。
そういう場合は「見ないでほしい」という意思表示を残しておき、そのメッセージ通りにしてくれるような人間関係を生前から築いておくことも終活のひとつなのかも知れない。